小説を推すし、場合によっては

ファンアートを描いて宣伝したりもする。

 こんな風にね。

 今まではこういうのをnoteでやっていたのだけれど、それについても思うところがあって。

 というのも、noteの記事ってnoteの中の検索にしか引っかからないんですよね。

 めちゃくちゃ閲覧数稼いでるトップ層なんかは辛うじてグーグル検索に出てこないこともないんだろうけど、日記代わりになあなあでやってる記事なんて十中八九noteの外側から見えることは無い。これは断言できる。

 それなら多少なりとも人目につくブログで書いちゃえばいいじゃん。0よりは1じゃん。と僕は思う。

じゃあ、今後noteは使わないの?

 答えはノーである。多分、いや今後もnoteにはお世話になるだろう。何故なら人目に付きづらい分気楽に思いついたことをぽいぽい投稿できるからだ。まさにノート。

 感覚的には、文字制限のないTwitterくらいのノリで使っていける。Twitterの貧弱なタイムライン管理システムと違いnoteは自分のホームからいつでもエントリが見返せるし、太字や見出し機能はちゃんとあるのでメモ帳よりも随分リッチだ。

 記事のリンクをそのまま張ればセルフ引用ツイートに頼らずして叩き台を作ることもできる。拡散力がべらぼうに低い代わりに媒体を問わず振り回しやすいところはnoteの長所と言えるだろう。

ちょっと話が逸れました。

 冬野屋の活動方針の話。今後営利を目指すかどうかに関わらず気にしていきたいことは2つ。

 楽しく続けていくこと。そして、感謝に対して貪欲であること

 いや、怪しい自己啓発の話ではなく。僕自身が誰かからの賞賛や感謝が無いと動けない人間だというだけのことで。

 僕が好きなクリエイターや、僕が応援したい作品を、僕のファンアートで盛り上げてみる。そうすると、少しだけ世の中が僕の望む方へ動いてゆく。乱暴でワガママな理屈かもしれないけど、僕がしたいのはそういうことだ。

 今後まったく形態が変わらないということは保証できないけれど、冬野快はこれからも常に、何らかの形で創作物をネット上に放流していくだろう。そうした活動のなかで、冬野の詩やイラストを気に入ってくれる人が一人でも増えていけば嬉しいなあと思う。嬉しい気持ちは素朴だが重要なモチベーションだ。何事も楽しく続けられるのが一番いいんだからね。

後日談。noteの使い方ってみんなどうしてる?

 という話を書きました。noteで。

 クリエイターの発表スタイル、生活リズム、癖によっていろんな付き合い方ができるプラットフォームだよねー。という内容と少しのオマケがついた記事となっております。コメントもお待ちしております。読んだ方はぜひ冬野と一緒に考えてみてください。そして教えてください。

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